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ケシ畑からコーヒー農園へ

ケシ畑からコーヒー農園へ

東京大学 東洋文化研究所 教授
日本サステイナブルコーヒー協会 理事
池本 幸生

アヘンの原料となるケシはヒナゲシに似た可憐な花を咲かせます。その実に傷をつけて採取される果汁を精製してアヘンが作られます。その栽培は違法なので、日本で栽培することはできません。ケシが栽培されているのは、警察の監視が行き届かない治安の悪い地域です。現在の主な産地はアフガニスタンですが、それ以前はタイ、ミャンマー、ラオスの国境が交わる山岳地帯が主な産地で、3つの国が交わるので「ゴールデン・トライアングル」(黄金の三角地帯)と呼ばれていました。「ゴールデン・トライアングル」というとまるで豊かな土地を想像するかもしれませんが、実際には人々は貧しく、「貧困のトライアングル」と呼ぶ方がふさわしい場所でした。

この地域は山がちで交通の便が悪く、少数民族の人たちが多く住み、今でも国籍を持たない人たちがたくさんいます。山を切り開いてコメやトウモロコシなどを植える焼き畑がおこなわれていましたが、人口が少ない間はそれでもサステイナブルな農業でした。ところが、木材のために森林が伐採されると、やがて森林は消失していきました。それとともにケシ栽培が広がっていきました。


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シーナカリン王太后

森林破壊と貧困はこの地域の大きな問題でした。この問題に取り組んだのが、タイの前国王(プミポン国王)の母であるシーナカリン王太后(19001995年)でした。道路が整備されていないところにヘリコプターでやってくるため、現地の人たちは親しみを込めて「メーファールアン」(タイ語で「空からやってくるお母さん」の意味)と呼びました。この地域の開発のために1972年に財団が設立され、1985年に「メーファールアン財団」と改称されました。コーヒーを柱としてドイトゥン地域を開発する「ドイトゥン開発プロジェクト」が1987年に始まります。この地域の環境がコーヒー栽培に適していたことから生まれたプロジェクトで、ケシの代わりにコーヒーの木を植えて人々の収入源にし、同時にコーヒーの木の栽培を通して森林回復を進めるものでした。ドイトゥンコーヒーはこのようにして生まれました。

コーヒーの木は環境にもやさしい植物です。日陰で育つため、コーヒーの木を覆う高木と一緒に栽培されます。この高木は日陰を作る木という意味で「被陰樹」と呼ばれます。生物多様性にも役立ち、渡り鳥の保護にも役立つため、米国のスミソニアン渡り鳥センターはバードフレンドリーコーヒーという認証を行なっています。

ドイトゥン開発プロジェクトは麻薬撲滅に大きく貢献したため、国連薬物犯罪事務所(UNODC)は2003年に「麻薬撲滅に世界で最も成功した事例の一つ」と認定し、このプロジェクトで生産される製品にはその認証が付けられています。

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複合農業

ドイトゥンコーヒーは森林回復と貧困削減の両方に成功したため、それは開発モデルとなり、他の国でも試みられています。しかし、ただコーヒーを植えればいいというものではありません。輸出しうるレベルまでコーヒーの品質を上げていくのは大変な努力がいります。またそれを人々の貧困削減につなげ、環境保護にも結び付けないといけません。その全体の構想の基本にあるのが、タイの前国王の「足るを知る経済」(Sufficiency Economy)という考え方です。タイは仏教国であり、「足るを知る経済」という考え方も仏教の「小欲知足」という教えに基づいています。その考え方は、バランスのとれた豊かな暮らしにあります。コーヒーの木をたくさん植えれば収入が増えるかもしれませんが、環境は悪化します。それはサステイナブルではありません。サステイナブルであることを追求するなら、様々なバランスが大事です。

ドイトゥン開発プロジェクトが始まった1988年には森林面積は28%まで減っていました。それが2017年には77%まで回復します。しかし、そのすべてがコーヒー農園になったわけではありません。69%は保護林として残し、コーヒーやマカデミアナッツのような収入を生む経済林は4%に過ぎません。あとの4%の森は里山として人々が利用できる場所となっています。コメやトウモロコシや野菜など自給用の作物に8%の土地が確保されています。かつては焼き畑に54%が利用され、それでも十分な収入を上げることはできませんでした。しかし、今では自給が基本となり、そこに現金収入をもたらすコーヒーなどが植えられています。その他にも伝統的な織物やその製品など、地域の特性にあった商品を作って販売し、重要な収入源になっています。

これらの活動を支えているのが教育です。子どもに対する教育だけでなく、成人に対する教育も行われ、健康の向上にも役立っています。開発や貧困対策は単に所得を増やすことではありません。人々の暮らしを改善し、安定させ、同時に環境も守らなければなりません。それがサステイナブルな開発のあり方です。


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図1.土地利用の変化

プロジェクトが始まった1988年には、森林面積は28%しかなく、陸稲やトウモロコシなどを焼畑移動耕作(Shifting cultivation)によって広く植えていました。そこに植林して森林の面積を増やし、コーヒーやマカデミアナッツなどの有用な木を植え、2017年には森林面積は85%にまで増加しました。